これから

怖かった。東京でこんな怖かったんだから、震源地の人たちの感じた恐怖をは想像できない。どれほどだったんだろう。書こうか迷ったけど、今の気持ちを書く。

3月11日、金曜日。
いつものように外勤。午前の仕事が終わって13時半ごろ昼休みへ。4人でランチ。その日、ひどい二日酔いでなかなか食べることができなかった。体調はあんまり良くない。でも、一面ガラス張りの通りに面したデパートの1階でいつもよりもちょっと優雅にランチだなんて喜んでた。ごはんも食べ終わり、雑談していた。その時、地震だ、なんて思ってたらどんどんどんどんひどくなる。店員さんも、ガラスから離れてください!と大声。ほかの店舗からも、その店のほかのお客さんからも悲鳴。お金を置き、あわてて外へ。信号機が、標識が揺れてる。デパート一面ガラス張りだったけど、私はそんなことに気がつかなくて周囲の人に危ないから離れようと言われて気が付いた。
ぼんやりとああ、これは大変だ、と思う。とっさに実家のことを思う。そして、今一人じゃなくて本当によかったと思った。
私はもともと午後から会社に戻る予定だったので、予定通り周りの人と別れてバスで向かう。電車止まってたからぎゅうぎゅうで、でもそんな中でも席を本当に必要な人に譲り合ってたのが印象的だった。でも、途中でまた大きい地震。バスは停車して、ドアを開けてた。公園や通りにはたくさんの人が集まって話をしたり、携帯を見てた。
いつもより2倍の時間がかかって到着。このときはこんなに大きな地震だったなんてわかってなかった。エレベーターも止まってて、階段で。会社の人たちはやっぱり早々に帰ったり、帰れなかったり。私は先輩と電車が動いていないんじゃしょうがない、と仕事をする。あとは続々友達からメールきたり、家族と連絡取ったり。途中おなかすいてコンビニへ。そこで車の渋滞の列と、どこかに向かって歩くたくさんの人たちを見て、すっごく怖くなった。異様だった。外からはサイレンがひっきりなしに聞こえ、空にはヘリコプター。本当に怖かった。
地下鉄が動き出したので帰宅。家に着いたら1時過ぎ。テレビをつけて、ここで初めて現状を知る。怖かった。緊急地震速報が流れるたびに心臓が止まるかと思った。あの音、忘れない。ほとんど眠れなかった。
次の日、仕事で別の施設に。でっかいキャビネットが倒れていて、ほかもぐちゃぐちゃになっていた。
東北の後輩にメール。停電で見知らぬ人の車で一晩一緒に過ごしたらしい。無事でよかった。
あとはテレビ見て過ごす。何度涙が出たか。家族を亡くした人、体の調子が悪い人、心に傷を負った人、必死に前を向いている人、家族と再会できた人、ほかの国から救助に来てくれた人、周りの人を護るために危険な仕事をしている人、みんな生きるのに必死。
この世に当たり前なんてない。日常って何だろう。私は節電をして、こんな時だからこそ仕事して、日本の経済をまわしていかなきゃ、暗い顔して考えこんでたってどうにかなるのか。電車が混んでたり、時間がかかったり、そんなことどうってことないじゃない。協力して助け合っていかなきゃならない。
コンビニは電気を暗くして営業していたり、駅はエスカレーターを止めていたり、営業を早めに終わりにしたり、コンセントを抜いたり、そういったこと、当たり前なんだけど、なんかぐっときてしまう。今回対応が遅いとかいろいろ批判も聞こえたけど、日本はいい国じゃないかと思った。
原発の近くに避難している人も不安でしょうがないと思うけど、そこで作業している人、また、そのご家族のことを思うと頭が上がりません。